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そんなことで、今回は「卒業」のテーマで書いてみます。
本来に立ち戻ったサドベリースクールでは、「卒業」も本来の意味で使われています。
○歳だから、○年生だから卒業とかではありません。
もともと、「卒業」という言葉は「そのステージでやり切って、次のステージへステップアップしていく」という意味だと思います。
なので、サドベリーでは卒業の年齢は決まっておらず、生徒本人が「サドベリースクールでの学びをやり尽くしたので、次のステージへ出ていく」と決めたタイミングで卒業を希望し、卒業プレゼンテーションを経て、卒業が認められるという形です。
「西宮サドベリーの卒業生」というと、一般の人たちから見れば、「西宮サドベリーで学ぶとこんな子に育つのか」という一つのモデルに見られます。
なので、卒業プレゼンでは「スクールで何を学んだか」、「卒業してからの進路」などを説明することももちろんですが、「きちんとサドベリーの理念を理解しているか」をジャッジされます。
卒業プレゼン・質疑応答を経て、スクールの生徒・保護者・スタッフから過半数の賛成をもらえれば、晴れて卒業生として認められます。
そんな工程を経て、きちんと「卒業」をした西宮サドベリーの卒業生達に、機会があれば、ぜひ会ってみてください。
日本のサドベリースクールを見回しても、スクールを出てからの進路は様々です。
自分のやりたい事を追求していくために、大学に進学する子達もいます。
1年以上かけて、世界一周の旅をしたり、日本一周旅行をしている子達もいます。
ゼロから農業を学んで有機農業での農家を始めた子、ミュージシャンでCDをリリースしたりライブをしたり音楽活動をしている子、オーナーシェフで料理屋さんを始めた子もいます。とっても美味しいです。IT業界に就職した子も。
スクールにいる10歳くらいから競馬が好きで、現在では競馬のライターになった子も。
普通にサラリーマンをやっている子もいます。
サドベリーでの学びを生かして、教育分野で活躍している子もいます。
みんなが「自分のやりたい事」を追求していくので、本当にその進路は多種多様ですが、共通して言えることは、「今の自分に満足している」こと。
本来で考えれば、この事がいちばん大切な事だと思うのです。
ー西宮サドベリースクールー
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HP: http://www.nishinomiya-sud.com/
なので、子ども達がいろいろな学びをしていく中で、自分の中で「とことん追求してみたい」学びは、本当にとことんまで、追求されていきます。
例えば、将来はプロサーファーを目指す17歳の子。
現在、ジュニアでは日本ランキングも上位ですし、大会でも優勝や入賞をしていて、スポンサーがついていたりもします。
元々は、大阪南部に住んでいる子なので、近くにサーフィンを練習する場所はなく、週末に保護者の方に車で送ってもらって、海でサーフィンの練習を集中してやっていく、という形でした。
そして海に入れない平日は、ランニングやジムでの基礎体力作りや、体幹トレーニング、キックボクシングを取り入れてのトレーニングなどを行なっていました。
スクールのプロジェクトとして学び予算から、ジムでのトレーニング代や大会への遠征費、エントリー代などを獲得して、学びを深めていきました。
けれども、この方法でトレーニングを進めていく中で、本当にプロを目指すのには、海での実際のトレーニングが圧倒的に足りない、とというこの子の思いがあり、現在では、練習拠点を四国に移して、ほぼ毎日、海でのトレーニングを行える環境を得ることに成功しました。
このことで、本人の実感としても、かなりスキルや経験が上がったとの手応えを持っているそう。
プロ試験に向けて、ハワイやバリなどでの海外トレーニングも行っています。
スクールのプロジェクトも、四国での宿泊費などを中心に支援していたりします。
西宮サドベリーでは、サーフィン以外でも、いろいろな学びの深まりが存在しています。
コーヒーがとても好きで、将来カフェを持ちたいという子が、プロジェクトでコーヒーコーディネーター養成講座の勉強をして12歳にして資格を取りました。美味しいと評判のカフェを飲み歩いたり、焙煎教室に参加してみたり。
テレビゲームが好きな子達の中にも、プロゲーマーを目指す子がいたり、大会に出ていたり、上位1%のランクに入るほど練習して研究して上達していたり。
電車が好きな子は、自分のYouTubeチャンネルを持っていたり、SNSを通じて同じ趣味の大人達とも交流しながら、小遣いで買った一眼カメラでの電車の撮影に出かけていたり。
そのほかにも、
・手話検定や秘書検定を勉強
・ブラックバス釣りのプロを目指して、毎日早朝から河川や琵琶湖へ行って練習。大会でジュニア優勝
・先生に来てもらってギターを教わる、ボイストレーニングの教室に通う
「自分の学びたいことを学びたいだけやっていく」ことができるサドベリースクール では、とても自然な形で学びの深まりが行われて行くのです。
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そしてそういう子達はみんな、小中学校を経由してサドベリーに入学した子達。
彼ら/彼女らを見ていると、「サドベリーに既にあるもの」の中だけで楽しんでいるのです。
それは、スクール内での友達だったり、スクール内でみんながやっている事だったり、他の子に誘われた事だったり。
なので、それまで一緒にいた友達と、みんながやっている事と、誘われた事と、自分がぴったり来ないものになってくると、「何となく面白くない」となるのです。
そもそも、たまたま今、スクールにいてる子達や、みんながやっている事や誘われることは、完全なる偶然の要素なので、その子本人が本当のところで「面白い」と思えることの方がやってくる可能性の方が低いのです。
彼らが小中学校で経験して来た「与えられたことをこなす」ということは、サドベリーには存在しません。
また、彼らが大人になって自分の望む生き方をしていきたいなら、「与えられたこと」の中から選ぶのではなく、全く枠の無い本当のすべてのものの中から、自分がいちばんにやっていきたい事をやっていく他ありません。
サドベリースクールの学び環境の醍醐味は、その子本人が本当のところでいちばんにやっていきたい、と思うことを、全くそのままやっていける、無限の可能性です。
もし、自分のやりたい事に対して、教えてくれる人がいないなら、プロジェクト予算を使って、専門的な人のところへ行けばいいのです。
もし、スクールにいてる生徒の子達に物足りなさを感じるなら、全国のいろいろな興味を惹く人達のところへ、スクールの学びとして回ることができます。
もし、スクールの学び予算が足りないのなら、クラウドファウンディングやバザーなどを使って、お金を生み出せばいいのです。(生徒の子達が自分達で自由に使える学び予算は年間300万円ほどあります)
与えられるものに比べると、自分で考えて、動いて、自由に学んでいく事は大変ではありますが、彼らが大人になって自分の望む生き方をしていくには、絶対に必要な事なのです。
そう考えると、自分のやりたい事がそのままやっていけるサドベリーの学び環境が「何となく面白くない」となることは、無いのでしょう。
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これも、サドベリー的に本来に立ち戻って考えると、当たり前なことで、その子が見学に来て、体験もしてみて、「本当にこの学校に入りたい」と強く決心したのは、その瞬間であって、4月ではないからです。
気持ち的には、理解はできます。
小中学校をはじめ、社会の多くの年度としては、4月はとても大きな区切りですし、例えば今くらいの2月とかに見学に来ると、そういう気持ちになるのかもしれません。「小学校を卒業したら中学から来ます」、とかも同じ。
けれども、それはその時点で、小中学校の価値観の呪縛に縛られてしまっているのです。サドベリースクールでは、入学時期はあえて決まっていません。それは上に書いたような、本来的に「自分の中で決心した時が動く時」と考えるからです。
2月に見学に来て、「この学校に入ろう」と決心した。けれども、4月まで入らなかったとしたら、その間の2ヶ月間は、その子の中でどんな意味の時間になるのでしょうか?
もう、それまでに通っていた小中学校からは気持ちが離れているので、キリがいいと思って年度の最後まで通い続けたところで、全くもって意味を持たない時間になってしまうでしょう。この時間は、その子にとってとてもとても大切な時間に違いありません。それを無駄にしてしまうとしたら、本当にもったいない事だと思うのです。
さらにある事としては、4月を待っている余分な時間のうちに、自分の熱意はどんどん冷めていってしまいますし、「どうしてサドベリーに入りたかったのか?」も、どんどんぼやけていってしまいます。
そんな中で、頭を使って、自分がサドベリーに行っても大丈夫なのか?と考え始めると、どんどん不安が大きくなっていきます。まだサドベリーに通ったこともなくて、今それを心配してもしょうがないのに、です。
せっかく、サドベリーを見つけて良いと思ってくれたのなら、もっともっと自由に、本来的に、動いていってほしいと思うのです。
サドベリーに合わなくなった子が「今月いっぱいで辞めます」、も同じ。サドベリーから気持ちが離れてしまってからの、その子の大切な時間がとてももったいないです。
ちなみに、西宮サドベリーでは、辞める場合も日割りで学費を返金しています。本来的な選択をしてほしいからです。
いろいろなしがらみや理由がたくさん存在しているのは、理解しています。
けれども、とてもシンプルに、その人の中での「いちばんの選択」をその瞬間瞬間で選んでいくことを、「基準」として考えてみるだけでも、シンプルで本来的な生き方に、少し近づくと思うのです。
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僕が、スタッフ選挙での生徒の子達へのプレゼンの中で「サドベリーの理想のスタッフ像」について挙げています。
そこに挙げているのは、
・学校は子どもが主役
・スタッフは本当に必要な時に、きちんとサポートする
・子どもの学び環境をより良くしていく
という項目。
それぞれの意図を書いていくと、こんな感じです。
・学校は子どもが主役
これは、前にブログで書いたりもしましたが、大人はふとすると、「子どものため」を思って「学校を大人が中心な場所」にしてしまいます。
当たり前ですが本来は、「学校は子どもが学ぶための場所」であり「子どもが主役」です。スタッフはあくまで、子どもがより良く学ぶためのサポート役。
これをしっかり役割としてできていることは、とてもとても大切なことなのです。
・スタッフは本当に必要な時に、きちんとサポートする
これも、文字で見てしまうと当たり前に見えてしまいますが、なかなか難しい。
大人が良かれと思って先走ったことで、子どもが自分で考える、チャレンジする機会を奪ってしまったり、自分の興味だけで動いてそこに没頭してしまって、スクール全体が見えてなかったり。
サドベリーは大人も子どもも全く対等な環境なので、子どもが教えて欲しいことを、教わりたい人に聞きます。その時にも「5を聞かれれば、5だけ」を答えればいいのです。
・子どもの学び環境をより良くしていく
サドベリーのスタッフに「こうあるべき」はありません。それぞれのスタッフによって、動き方考え方はかなり大きく違います。
けれども、ひとつだけ共通して持っているもの。それはスタッフは「子どもの学び環境をより良くしていく」のが役割で、そのことだけには縛られているのだと思っています。
これは、項目として挙げてはいないですが、僕の日頃の動きとして、真意を資料に入れました。
・校舎内をぐるぐる回っているのは、スクール全体を見ている、把握している。サポートして欲しい時に声をかけやすくしている
日頃から、僕は生徒の子に予約されていなければ、校舎内を一定時間ごとにぐるぐると回るようにしています。
これは、サドベリーがいくら自己責任で、子ども達が自分達で安全管理をしてくれてるとはいえ、スタッフがスクール全体の安全の把握をしておくべきだと考えています。
子ども達の学びの中で、どこでどういう事が起こっているのか、を把握していることも大切です。
合わせて、スタッフが近くを通ることで、子ども達がちょっと聞きたいこと、手伝って欲しいことを、スタッフに頼みやすくしている面もあります。
サドベリーのスタッフを希望する人達は、それぞれで「子どもの学び環境をより良くしていく」ために最善を尽くして動いています。
その中から、子ども達はスタッフ選挙を通じて、「今のスクールにベストなスタッフ構成」を作っていくのです。
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「スタッフ選挙」は、とてもサドベリーらしいシステムだと言えます。
生徒の子達が、来年度のスタッフ候補の中から「この人にスタッフを任せたい」候補に投票をし、その投票結果によって来年度のスタッフが決定されます。
これは本当に文字通り、生徒の投票によって全てが決定します。生徒の意見が「考慮される」とかではありません。
生徒の子達の投票結果によって、完全にスタッフの陣容が決定されるのです。
西宮サドベリーのスクール理念は「子どもを100%信頼する」です。
このスタッフ選挙のシステムは、本当に子どもを100%信頼していないと実現できないシステムです。だからこそ、サドベリーをよく表しているシステムだと思うのです。
一方で、サドベリーのいつものように本来に立ち戻ってみると、スタッフ選挙のことがより深く理解できます。
まず一つ目に、学校の中で「生徒が先生を投票で決めることができる」「生徒が先生をクビにする権限を持っている」というと、すごくぶっ飛んだことのように思ってしまいますが、まずこれが違います。
例えば、学習塾で「教え方が下手で、生徒に支持されていない先生」や「教え方はそこそこだけど、生徒の子達が授業を聞く気になれない先生」などは、クビになっても仕方がないと思えます。
本当は、学習塾も学校も同じ「生徒の子達が学ぶ場所」であり、「生徒の子達がより良い環境で学ぶために、生徒の子達の意見によって先生が決められる」ということは、全くぶっ飛んだことではありません。
二つ目は、「生徒がスタッフを決めれるなら、スタッフ選挙はただの人気投票になるのでは?」「生徒に対してうわべだけが良いスタッフ候補が当選するのでは?」ということがよく言われますが、これも間違いです。
なぜなら、本当の意味で「生徒の投票によってスタッフが決定される」からです。
生徒の子達はそれだけ大きな権限と責任を持っています。もし生徒の子達の投票が先の例のような間違った方向に行ってしまったら、そのままうわべだけのスタッフ候補が当選してしまい、来年度のスクール運営に大きな問題を作ってしまいます。最悪の場合は、生徒の子達の投票の間違いによってスクールが潰れてしまうこともあり得るのです。
なので、生徒の子達は、もちろんそれぞれの候補の好き嫌いはあるものの、それに加えて、「今のスクールにどの候補の人がスタッフになるべきか?」「スタッフの持つスキルのバランスはどうか?」などのいろいろな要素を考えながら、投票してくれます。
もちろん、たとえそれが小さい子達であっても。
さらに知りたい方は、スタッフ選挙・スタッフプログラムのページをご覧ください。
西宮サドベリーのよくできたシステムを見ていただけることと思います。
→ https://www.nishinomiya-sud.com/staff-bosyuu/
スタッフ選挙によって、年に1回、子ども達が望む、より充実した学び環境に、スクールはアップデートされていきます。
これが、西宮サドベリースクールが充実している秘訣です。
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親が、子どものことを心配になるのは、気持ちとしては、よくよく分かります。
また親御さんが小中学校を経験していると、メジャーな環境で育った者として、自分たちと違う生き方を見るとそれだけで心配になるのかもしれません。
しかし。その心配を押し付けて、子どもの生き方を変えてしまったら、親も子も不幸になります。
たとえそれが、「子のためを思って」の事であったとしても。
サドベリーにまつわることはどれを取っても全て、本来のところに立ち戻って考えてみることで、とてもよく理解する事ができます。
目先に惑わされるのではなく、思い込みに縛られるのではなく、本来に立ち戻る。
今回の件も同じです。
本来に立ち戻って考えてみるならば、親がどれだけ心配であろうが、サドベリーに通う子ども達は、自分で考えてベストな選択を選んでいるのです。
この時点で、親がどれだけ心配であろうが、子どもは自分で、自分にいちばんベストな選択をできているのです。
だから、何も心配はいりません。
もし、親が自分の考えで、子どもの生き方をねじ変えようとしたら、子どもは自分がいちばんだと思う生き方ができずに不幸になります。
そして押し付けられた生き方はいつまでもうまくいくはずもなく、どこかの時点で親の思い通りの生き方から外れてしまうでしょう。そうなると親も不幸です。
当たり前ですが、親と子どもはとても近い関係ですが、それでも別人格の別の人間です。
他人が自分の思うように動いてくれないように、子どもも親の思い通りに育つことは、あり得ません。
結局、自分を生きる子ども本人が、自分で責任を持って考えて、自分にいちばんベストだと思う選択をしていくのが、間違いなく、いちばんベストなのです。
最後に。
やりたいことだけやっていると、世界が狭いように見えてしまうかもしれませんが、子どものやりたいことはどんどん変わっていき、広がっていき、自分に必要なだけの広さの世界は手に入れていきます。
だから、こちらも心配はいらないのです。
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これは、サドベリーを理解してなくて、ほんとにほんとに、もったいない。
「何にもない」ことが、サドベリースクールのどれだけの魅力であることか?
たぶん、小中学校に通っていた彼らは、大人の決めたいろいろな事を、暇になる隙間もなく、ずっとずっと長い間、やらされてきたのでしょう。だから、やる事を与えられなくなると、何をしていいか分からず、やって行けなくなる訳です。
確かに、サドベリースクールには「何にもありません」。だからこそ、全ての学びについて、自分が希望する通り、理想のそのまま学んでいけるのです。
だからサドベリーには「何でもある」と言えます。そしてこれが、サドベリーの大きな大きな、魅力であったりします。
大人が学びを与える形では、大人が不必要、良くないと思った学びを選ぶことはできません。もしそれがその子にとってはとても重要な学びであっても、です。また、大人が用意した学び方が自分に合わなくても、自分の希望するやり方に合わせることはできません。
一見すると、いろいろ用意されていて選択肢がたくさんあるように見えますが、それは実は、「大人から見た選択肢」であって、「子どもから見た選択肢」ではないのです。
サドベリーの子ども達は、他人に選択肢を狭められることはなく、自分自身で、無限の選択肢の中から学びを選び、自分に合うように自由にカスタマイズして、好きなだけ時間をかけてやっていく事ができます。
最初は、サドベリーに「何にもなくて」途方に暮れた子達でも、サドベリーの魅力をよく理解している子達は、その暇な時間を最大限に生かして、自分のやりたい学び、自分のやりたいペースを見つけていきます。
また、学齢前の小さな子達や小中学校に行かずに育った子達にとっては、「何にもない」事が当たり前なので、サドベリーの本来で自然な学び環境にすぐ馴染んで、学校環境を生かしてどんどん学んでいってくれます。
サドベリースクールの大きな魅力は、「何にもなくて」、「何でもある」ことなのです。
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「サドベリーでは、兄弟だからといって、弟に強制はできひんねんで」。
「暇だから先に帰るわーー」という弟に、お兄ちゃんが「それは駄目」と強く言うやり取りでした。
もちろんこのやり取りには、家とスクールの行き帰りや家族との取り決めがあったのかもしれませんが、兄弟といってもサドベリーの中では、それぞれ個人として尊重される、という意味では、とても的を得た指摘だと思って見ていました。
西宮サドベリーには、学費に「兄弟割引」がありません。
それは、スクールでは兄弟であってもそれぞれの個人が全く独立していて、それぞれの子達が対等な尊重されるからです。
入学時には、兄がスクールに入ろうが入るまいが、弟は自分が本当にサドベリーに入ろうと思うか? 「自分の意思で学校を選択する」ことがサドベリーではとても大切なのです。
「兄弟で入ると安くなるから」はこれを邪魔する可能性があるので、西宮サドベリーでは採用されていません。
その代わり、兄弟で入学すると家計にも大きな影響があるので、経済的な理由により学費の全額納入が難しい家庭には、スクール独自の奨学金が用意されています。
現在スクールにも、兄弟・姉妹が在籍していますが、スクールに入ってからも「スクールの中には兄弟関係は持ち込まなくていい」「兄弟だからといって特別に気を使う必要もない」ことを、何度も伝えています。
兄弟であっても、それぞれが独立した人格で、それぞれが尊重されるべきなのです。
そもそも、本来を考えれば、スクールに限ったことではなく、社会の中でも家族の中でも、兄と弟、年上と年下であるからといって、それによる立ち位置や力関係の差があるのはおかしくて、それぞれが独立した人格で、それぞれが尊重されるべきなのです。
現在の日本の社会を見てみると、悪い意味で、年齢、学歴、性別、学年などによって、余計な立ち位置や力関係の差が存在しています。
子どもも大人も性別も関係なく、全く対等に尊重されるサドベリースクールで育った子達は、もっともっと自然な本来の形で、社会の中で人間関係を作り上げていくことができると、確信しています。
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それは、「学校は誰もための場所だと思う?」ということ。
サドベリーは「学校は子ども達が学ぶための場所」だという本来のあり方に立ち戻った学校で、全てにおいて本当の意味で「子ども達がより充実して学べるように」を考えて、システム全体が作られている。
サドベリーは「大人のための場所」にはなっていないよ、ということです。
学校の中で、どこも「大人のための場所」として学校づくりをしているつもりのところはないと思います。
けれども、果たして本当にそうでしょうか?
例えば、大人が良かれと思って、「子どもにはこの知識が必要」「子どもはこう成長していくべき」と学校のシステムを作っています。
けれども、これが本当に子ども達のためになっているのでしょうか?
僕は個人的には、大人は神様ではないのだから、「その子に本当な意味で何が必要か?」なんて、分かるはずはないと思っています。
その子の持っている能力や性格、将来に目指すものによって、必要なものは千差万別でしょうし、時代によっても必要とされるスキルはどんどん変わっていきます。
「子ども達がより充実して学べるように」を考えると、結局は、子ども本人が自分と向き合いながら、自分に必要なものを手に入れていく方法が、いちばんだと思うのです。
また別の例を見てみても、小中学校の先生を子ども達が選ぶことは出来ません。
これも、当たり前だ、と思われるかもしれませんが、学校が本気で「子ども達がより充実して学べるように」と考えるならば、少なくとも当たり前、で済ませるものではないと思っています。
例えば、学習塾を見てみると、経営的に「子ども達がより充実して学べるように」を追求しているので、教えるのが上手くない、分かりにくい講師、子ども達が聞く気になれない授業の講師などは、クビになっていきます。
学ぶ主体である子ども達に合わせて、サポートを提供する側が変わっていく、というのは、「子ども達がより充実して学べるように」は絶対に必要なものだと重いのです。
サドベリースクールには、子どもたちを縛るカリキュラムは一切、存在しません。子ども達がそれぞれで、自分に必要なものを必要な時に、必要なだけ、学んでいけるシステムとなっています。
また、毎年、子ども達が、学び環境をサポートしてくれるスタッフを責任を持って選挙で決めていきます。
サドベリーは「学校は子ども達が学ぶための場所」だという本来のあり方に立ち戻った学校なのです。
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ここまでなら、最近ではよく聞く話だし、それほどの驚きはなかったんですが、ある研究では「いろいろな先進国の中でも、その影響をいちばん受けるのが日本」というデータがあるという。
これには驚かされた。
世界的な薄く幅広い危機としてイメージしていたものが、その影響をいちばん受けるのが日本だという事を聞くと、一気に身近な、とても大きな問題であるように感じる。
そして、その影響をいちばんに受けるのは、将来を生きる子ども達なのだ。
産業革命から高度成長期まで、人間の労働力は「読み書きそろばん」が平均的にできる、決められた事をきちんとマニュアルに従ってこなすことができる人材が、いちばん求められた。
だから、従来の学校教育の、平均的に幅広く、みんな同じようなスキルを持つ人材の育成は、全然間違いではなくて、その時代にはいちばん必要とされていたものだったと言える。
けれども、ロボットの進化とAIの進化で、人間ができるほとんどの事は、ロボットでできるようになってしまう。
そういう面では、人間はロボットには全くもって、敵わないだろう。
今ある仕事で、人間でなければならない仕事というのは、ほんのほんの一握りしかないと思う。
けれども一方で、僕がこの話題を聞いたときに思ったのは、「そもそも人間はロボットとは違う」ということ。
人間は、ロボットほど全方向向きでもなければ、完璧でもない。
それでも、人間がロボットとは違うのだったら、「人間にしかできない仕事」はたくさんあるだろう、と思うのだ。今の段階ではまだ見つけられていないだけで、いざその時代が来ればいろいろな分野で「人間にしかできない」「人間だからうまくできる」仕事が見つけられるだろう。
そして、そもそも人間は、決められた事をきちんとマニュアルに従ってこなすことができる物ではないということ。たまたまこれまでの時代の中ではそういう人材が必要だたけれど、これからは違う。
これからの社会は、本来の人間の特徴である「知識が偏っていて、ある部分だけ凄い」「みんなできることが違う」「周りから影響を受けて大きく成長したりする」ことを最大限に生かしながら、人間がよりよく過ごしていける社会を作って行けばいいのだ。
本来の人間味をそのまま持って成長したサドベリーの卒業生達が、この将来で活躍して来れたら、嬉しい。
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そして、現在スクールに在籍している生徒の中にも、和歌山や石川、福井県から引っ越してきた子達がいてます。過去にも、東京や九州から引っ越してきた子達も。
通学でも、奈良や京都、南大阪から2時間ほどかけて来てくれている子達もいます。
なぜか?
それは、サドベリースクールが他には替えの効かない、ユニークで魅力のある学校システムだからです。
子どもがサドベリーの魅力に共感してくれて、そんな学校で学んでいきたいと思ったら、遠くても頑張って来てくれます。
サドベリーに来るという学びの選択を、その子本人が頑張って、家族がその選択を支援していただいて、実現してくれているのです。
「学校」と聞いて小中学校を思い浮かべてしまうと、「そこに住んでいるから」「行かないといけないから」という感じで、「選択する」「努力で実現させる」というイメージはありません。
けれども、本来、学びというものは、自分が一番だと思うものを選ぶものであって、いろいろな形で努力してやっと、その選択を実現できるものです。
例えば、音楽が好きな子が、自分のスキルをより伸ばすために、自分が一番いいと思った音楽教室に行こうと思って、でもその教室がとても遠かった場合。それでも本当に行きたい場合は、その子は学びを実現するために、いろいろな努力をすることでしょう。
そんなこともあって、サドベリースクールには、本当にサドベリーに来たい子達が来てくれています。
そして、だからこそ、その子達の一番の学びを得ていくことができるのです。
とは言え、本当にその選択をしたくても、みんながみんな、その選択を実現できるとは限りません。
そう考えると、いま、西宮サドベリーに通うことを実現できた子達は、本当に幸せなのかもしれません。
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成功体験をさせる、というのもよくよく聞きます。
一方で、僕は生徒の子達との関わりの中で「褒めない」ことで有名だったりします。
僕がごくごくたまに、生徒の子の絵とかを見て褒めることがあると、「ぐらに褒められたーー」と驚かれるのと、「ぐらがほんとに良いと思って褒めてくれた」と言われます。
「ほんとに良いと思って褒めてくれた」は、ほんとにそうです。それ以外でうわべだけで褒めるようなことはしません。
僕の周りには、ほんのちよっとした事ですごく褒める人がいます。
僕のしたちょっとした事にも、すごく褒めてもらったり、すごく感謝してもらえたり。
個人的には、「よく褒める」人には2種類あると思っています。
ひとつは、本当にちょっとした事で「すごい」「良い」と思える人で、その人のそのままの形で「褒める」ことができている人。
もうひとつは、「子どもを褒めて伸ばす」などを意識して、「自分が思ってもないのに」「ちょっと無理して」褒めている人。
こちらのパターンは、褒められた子どもにとっても、あまり良い結果にはならないのではないか、と思っています。
まず、「子どもを伸ばすために」褒める、というのは、自然な形でないです。
うわべのテクニックになってしまっています。
それでも、褒められた子どもは「嬉しい」です。それを糧にして動いてくれます。
でも、それは作られた不自然な嬉しさなのです。
親が作られた「褒める」を使って、子どもを作られた「嬉しさ」で動かしていくと、「褒める」ことで子どもの行動が作られていくようになってしまいます。
子どもからすれば、「褒められる」を行動の規範にしてしまって、褒められないと動かなくなってしまいます。
本当に思ってはいないこと、うわべだけの言葉、テクニックだけの嘘は、良い結果は生まないと思います。
本当に思っていることを、きちんと伝えることが、大切だと思います。
本心から褒める、ということはあまり機会がないかもしれません。
でも、褒められようが褒められまいが、自分の意思できちんと生きていけるような子の方が素敵だと思うのです。
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高いスキルを持つ魅力的なスタッフ希望の人達中から、子ども達がスタッフ選挙によって、より充実した学び環境を作っていくのがサドベリースクールです。
——
サドベリースクールは、本当の「子どもが学ぶための」学校です。
なのでサドベリーでは、
子どもが自分で学びを行なっていく
子ども達が学校運営を行なっていく
ことが本当な意味で可能となっていて、それは、
子ども達が自分で自分にとっていちばん良い学び方を作ることができる
子ども達が学び環境を充実させるために学校予算など、学校運営の全てに関わっていく権利を持つ
などに現れていたりします。
こういう面を伝えていると、「じゃあ、子ども達で全部やるんだから、大人・スタッフは必要ないじゃん」と言われることがあるのですが、そうではありません。
サドベリースクールに、子ども達から信任された少数精鋭のスタッフがいるのは、きちんと理由があるのです。
昔、12歳の生徒の子が「今のスクールが面白くない」と言って、自分がスクール代表(校長)になって学校運営からスクールの環境を良くしていく、と言い、実際、この子はミーティングでも承認されて代表になって、新聞で「12歳のスクール校長が誕生」と記事になったりもしました。
その後この子は、いろいろと先頭に立って学校運営をしてくれたものの、最終的には代表を辞めます。
その時に、この子が理由として言ったのが、
「自分は学ぶためにスクールに来ているのであって、学校運営がいちばんな訳ではない」ということでした。
生徒として来ている子ども達にとっては、スクールは「学ぶための場」であって、学びやすい環境、充実した学びができる環境を作るために「学校運営」を行うものの、それがいちばんやりたい事であることは少ないのです。
もちろん中には、学校運営に興味があっって、それ自体がスクールでいちばんやりたい学びの子もいます。
そういう子は、思う存分にスクールの学校運営の全てに関わって学んでいってくれれば良いと思います。
ただ、そういう子がずっとコンスタントにいることは無いのです。
途中で学校運営がいちばんやりたい事でなくなるかもしれません。
サドベリースクールにスタッフが必要な理由は、ここです。
子ども達に選挙で選ばれて、本当に信任されたスタッフが、子ども達から委任された、スクール運営のための事務作業や広報戦略、会計などを仕事としてこなしていく。
子ども達は、信頼できるスタッフにそれらを任して、自分達の学びにより集中できる。
生徒の子達がスクールでいちばんやりたい「自分の学びの追求」ができるのです。
スタッフは子ども達から、より良く学ぶ環境づくりのために業務委託されている。
そんな感じでしょうか?
今日も、サドベリースクールでは「子ども達の学び環境をより良くするため」にスタッフが頑張っています。
ー西宮サドベリースクールー